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国宝

醍醐寺文書聖教(旧重要文化財「醍醐寺聖教類」)

40676点 
指定番号:02515 /国宝指定年月日:2013.06.19(平成25.06.19)/重文指定年月日:2000.06.27 (平成12.06.27) 

※平成25年6月19日、「醍醐寺聖教類」(40,676点に新規12.299点が追加指定され、計52,975点)は、醍醐寺文書(16、403通)とあわせ、国宝「醍醐寺文書聖教(だいごじもんじょしょうぎょう)」に指定されました。(総数69,378点)

解説文:真言宗小野流の中心である醍醐寺には、事相・教相などに関する聖教類が多数残されている。  一〇一函から三〇〇函までの二〇〇函分は、函にみられる朱書や花押などから、おおよそ八〇代座主義演【ぎえん】(1558~1626年)の時代に整理されたものを中心としていることが知られる。時代的には奈良時代から江戸時代までがほとんどである。  奈良・平安時代のものには経典類の書写本が多い。なかでも、『梵網経【ぼんもうきょう】』巻上にみられる平安初期の白書および朱書の万葉仮名は、訓点【くんてん】創始期の資料として国語史料上、きわめて貴重である。また、白河上皇の帰依を受けた勝賢【しょうけん】の著作は、『雨言雑秘記』『孔雀経記』など多数に及ぶ。  鎌倉時代には、成賢【じょうげん】(一一六二-一二三一年)等の学僧によって多数の次第本がまとまって書写されている。成賢の著作に、曼茶羅中の諸尊を供養する東密の作法を集大成した『薄双紙』などがある。一五〇・一六〇番台の函には、密教図像関係が集中している。特に、建久四年(一一九三)書写と推定される『図像鈔』一〇巻の最古写本、東密の事相を伝える『覚禅抄』の文永三・四年厳雄書写本などが含まれている。醍醐流声明【しょうみょう】に関するものとしては、岳西院流の祖玄慶(?-一二九八年)の著作になる声明集が知られ、一九〇・二〇〇番台の函に声明の譜本類、二一〇番台に講式、論議、伽陀【かだ】などが収められている。  南北朝時代には、足利尊氏に従い、その信頼を得て、宗教界・政界に活躍した六五代座主賢俊【けんしゅん】(一二九九-一三五七年)がいる。康永三年(一三四四)、貞和四年(一三四八)に修した普賢延命法の記録『普賢延命法御修法記』など、賢俊の行った修法が確認できる。また、観応擾乱によって、延引した観応二年(一三五一)の後七日に関する記録など社会の動静を伝えるものもある。  室町時代には、足利義満・義持・義教の信頼を得、黒衣の宰相といわれた七三代座主満済【まんさい】(一三七八-一四三五年)がいる。満済は護持僧として、五代将軍義量のために応永三十二年(一四二五)二月二十四日に『普賢延命略次第』を、応永三十五年(一四二八)には義持のために『普賢延命法記』を書写している。また、満済の伝領本には、実運(一一五六-六〇年ころ)が三宝院流の口伝を記した『玄秘抄』『金宝鈔』『諸尊容鈔』の後三部鈔などが知られる。  義演関係は一七〇番台から一九〇番台の函にまとまっている。特に、義演手沢本『顕注密勘』や、『醍醐寺草創等記』、醍醐寺歴代座主に関する最も詳細な記録である『五八代記』が注目される。所持本の『諸尊法』は、鎌倉時代中期のもので、遍智院における諸尊法の集大成ともいうべきものを伝領している。また、義演は伝領した『三教指帰』などに修理を加えている。聖教類の書写・蒐集に尽力するとともに、醍醐寺経蔵の護持に意を用いていることが知られる。  この他、室町時代における醍醐寺の法会の全貌と法会・諸堂の経済的な基盤を記す『下醍醐年中行事』『大導師年中行事』や、第九五代長者能助僧正までを記している『東寺長者補任』、寛正四年(一四六三)書写になる『法流相承次第』、明応五年(一四九六)持厳書写になる『座主次第』、江戸時代初期の醍醐寺の動静を示す『寛永年間日記』など、注目されるものも少なくない。  三〇一函から五〇〇函までの二〇〇函分には、函にみられる墨書などから、三宝院、理性院、無量寿院などの諸院家において伝来したことが知られる。時代的には平安時代から江戸時代までがほとんどで、文書や典籍なども含む。  醍醐寺聖教類は真言宗寺院に集積された聖教類の第一に挙げられるものであり、宗教史上のみならず、国文学、歴史学上にも学術的価値の高いものである。 
追加年月日:2010.06.29(平成22.06.29)

醍醐寺聖教 秘讃部分

醍醐寺聖教 秘讃部分

醍醐寺聖教 秘讃部分左

醍醐寺聖教 秘讃部分左

醍醐寺聖教 秘讃部分右

醍醐寺聖教 秘讃部分右

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