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醍醐寺開創の地、上醍醐

下醍醐から約1時間、山道を登っていくと、醍醐寺開創の地である上醍醐に至ります。

上醍醐には、薬師堂(国宝)、開山堂(重文)、如意輪堂(重文)、清瀧宮(せいりゅうぐう)拝殿(国宝)など、国宝、重要文化財に指定されている数々の堂宇が点在しています。

参道より上醍醐を望む

参道より上醍醐を望む

朝もやの上醍醐

朝もやの上醍醐

上醍醐不動の滝

上醍醐不動の滝

醍醐水

醍醐寺発祥の地

醍醐寺発祥の地

ここがまさしく聖宝・理源大師が山上に立てた隠遁場所です。大師は霊力によってこの泉を発見されました。今でもこの霊水を飲むことができます。

清瀧宮拝殿 室町時代(国宝)

清瀧宮本殿より清瀧宮拝殿を望む

清瀧宮本殿より清瀧宮拝殿を望む

清瀧宮拝殿(国宝)は室町時代の建物で、寝殿造りの手法を生かした気品ある風格を備えています。山腹をわずかに切り開いて前面が崖にさしかかる懸造り(かけづくり)の構造になっています。

清瀧宮拝殿

清瀧宮拝殿

清瀧宮本殿 

清瀧宮本殿 

准胝堂跡

准胝堂の創建は貞観18年(876)と伝えられていますが、幾度かの火災により焼失。昭和43年(1968)に再建されたお堂は2008年8月24日未明の落雷による火災により焼失しました。現在、復興に向けての作業を行っております。


納経、御朱印は下伽藍観音堂(旧大講堂)でお受けさせていただきます。  

 


薬師堂 平安時代(国宝)

薬師堂は上醍醐伽藍の中央に位置し、延喜13年(913)に醍醐天皇の御願堂として創建されました。900年以上の風雪を耐え抜いてきました。全体に水平感を強調した落ち着いた建物で平安後期の気風をよく伝えています。本尊の薬師三尊像(国宝)は、保存管理の為、平成13年10月の霊宝館リニューアルオープンの際に霊宝館平成館に遷座されています。そのため平成24年4月に新しい本尊として薬師三尊が造顕され奉安されています。

薬師如来は総丈1m80cm、左右の両脇仏は総丈1m30cmと国宝の三尊仏とほぼ同じ大きさで、いずれも総檜一木乾漆像で古色で荘厳されています。(非公開)

五大堂

五大堂 正面

五大堂 正面

五大堂は延喜13年(913)に醍醐天皇の御願堂として創建されました。以後数度の災に遭い、現在の五大堂は昭和15年に再建されたものですが、山上に聳えるその偉容は、鎮護国家を託された往時の山上密教寺院の雰囲気を今に伝えています。

五大堂 壁画

五大堂 壁画

不動明王像

不動明王像

本尊の五大明王は、災難身代わりの霊尊として全国的に信仰され、一年を通して各地より多くの方にお参りされています。

如意輪堂 桃山時代(重文)

如意輪堂は、醍醐寺開山の理源大師聖宝が上醍醐を開いた際、准胝堂と共に最初に建てた建物で、「醍醐寺縁起」では、創建を貞観18年(876)のこととしています。現在の建物は慶長11年(1613)建立のもので本尊如意輪観音と共に脇の間に毘沙門天、吉祥天が祀られています。

開山堂 桃山時代(重文)

醍醐寺の開山、聖宝・理源大師を奉安したお堂。最初は御影堂(みえどう)といい、延喜11年(911)に理源大師の弟子、醍醐寺第一世座主、観賢僧正によって建立されましたが、後に焼失。鎌倉時代に再建されたものの荒廃してしまいました。現在のお堂は、慶長11年(1606)に豊臣秀頼によって再建されたもので、雄大な桃山時代の特徴をよく表した山上最大のお堂です。

お堂の内陣には、中央に醍醐寺開山聖宝理源大師像、左に真言宗宗祖弘法大師像、右に醍醐寺第一世座主・観賢僧正像が奉安されています。

理源大師像(木造) 鎌倉時代(重文)

開山堂建立当初は、醍醐寺一世観賢座主の自作による聖宝像が奉安されていましたが、文応元年(1260)にお堂の焼失とともに失われてしまいました。現存のものは、弘長元年(1261)に開山堂が再建されたときに、新たに造立されたものです。

寄せ木造りに彩色を加えた木彫像です。

理源大師像

理源大師像

開山堂内部

開山堂内部