和暦年(西暦) | 月 | 日 | 事項 | 義演年齢 |
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慶長3年(1598) | 8月 | 16日 | 義演、伏見城において秀吉の病気平癒のために祈祷を行う | 41才 |
18日 | 秀吉薨ず | |||
5年(1600) | 3月 | 醍醐寺金堂建立始まる。施主豊臣秀頼、千七百石寄進。5月に完成(「義」) | 43才 | |
7月 | 関ヶ原の戦い | |||
7年(1602) | 正月 | 22日 | 義演、聖教箱十合を新調(「義」) | 45才 |
6月 | 4日 | 義演、聖教箱十合を新調(「義」) | ||
9年(1604) | 正月 | 義演、山上釈迦院の聖教を閲覧、借用す(「義」) | 47才 | |
2月 | 義演、このころより寺誌編纂を始め、「醍醐寺新要録」と名づく(「義」) | |||
8月 | 醍醐寺金堂において大阿闍梨として義演が秀吉七回忌の結縁灌頂を行う | |||
元和6年(1620) | 10月 | このころ、義演、「醍醐寺新要録」大略完成す(「義」) | 63才 | |
寛永元年(1624) | 4月 | 19日 | 義演、聖教箱四十合を新調(「義」、305函銘) | 67才 |
3年(1626) | 4月 | 義演、入滅す | 69才 |
〔注〕事項の末尾の( )内は出典。「義」は「義演准后日記」、「新要録」は「醍醐寺新要録」を表す。記載の無いものは「五八代記」に依った。