菩提の世界:醍醐寺芸術珍宝展-中国各メディアの反響-
※百度百科(中国語)に掲載された記事の日本語訳です。
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“菩提の世界:醍醐寺芸術珍宝展”まもなく上海で開幕
日本の真言宗醍醐派総本山醍醐寺、日本独立行政法人国立文化財機構、上海博物館、陝西歴史博物館共同主催による“菩提の世界:醍醐寺芸術珍宝展”が2016年5月10日より上海博物館で開幕する。
醍醐寺は京都市東南部の醍醐山に位置し、理源大師聖宝により西暦874年に創建された。現在に至るまで1100年を超える歴史の中で、寺域を広げ、庭園殿舎を整備し、大規模な伽藍建築群を整えた。1994年ユネスコ世界文化遺産に登録されている。醍醐寺は日本真言宗醍醐派の総本山として、日本仏教史の中で一貫して重要な地位を占めるだけでなく、「仏教東伝」という古代中日文化交流史上の重要なできごとの証人でもある。
インドで始まった仏教は中国に伝わると,約300年を経てしだいに「中国仏教」を形成していった。西暦7世纪,印度の僧善无畏(ぜんむい)、金剛智(こんごうち)、と西域の僧不空(ふくう)が金剛界、胎藏界の両部密教を「代表的な純正の密教」として中国に伝えると、長安にある青龍寺の高僧惠果は、不空から金剛界の密法を,また善无畏の弟子玄超より胎藏界の密法を受け継ぎ,その後この二法を融合,“金胎不二”の学説を打ち立てた。日本の僧空海(くうかい)は遣唐使として中国を訪れ,青龍寺において惠果を師として,この“金胎不二”法を伝授された。帰国後,空海は日本真言宗を創立,京都東寺を活動の中心としたため,“東密”と呼ばれている。醍醐寺の創建者聖宝は、この空海の孫弟子にあたる。
空海の日本帰国によって仏教の教えとともに仏教芸術ももたらされた。醍醐寺は日本真言宗の芸術の中心寺院である,日本の奈良時代(西暦710-794年)から江戸時代(西暦1603-1867年)にいたる仏像、絵画、法具等の工芸品を多数所蔵している。その中でも平安(西暦794-1185年)、鎌倉(西暦1185-1333年)時代の仏教芸術は、中国 唐、宋時代の影響が顕著であり,空海が自ら中国唐朝から日本に請来した文物の様式を伝えるものが多いとされる。
展覧会は三つのコーナーにより構成されている。
第一部は「醍醐の源流」。醍醐寺の創建、寺名の由来と開山以来伝承されてきた、法流血脈に関する宗教の拠りどころと歴史の概略を紹介している。
第二部は、「醍醐の事相」。このコーナーでは、密教の儀軌(供養の儀式規則)で使用される仏像、法具、本尊、曼茶羅図などの貴重な仏教芸術品を通じて、訪れた人は醍醐寺独特の仏教芸術を味わうことができる。
第三部は、「風雅な醍醐」。戦国時代に豊臣秀吉は、醍醐寺で史上有名な「醍醐の花見」を催した。これによって「応仁、文明の乱」以来、百年間にわたり、破壊され、荒廃していた醍醐寺は、近世の復興、繁栄の時期を迎える。桃山、江戸時代の精妙な屏風絵など、その所蔵品の華麗さと風雅さは、訪れた人の心を魅了する。
今回の展覧会は、上海博物館の後、陝西歴史博物館でも開催され。中国で初の醍醐寺文化遺産の公開となる。醍醐寺の寺宝が日本国外で展示されるのはドイツ(2008年)以来であり、二度目となる。日本の国宝13点、重要文化財31点を含む計90点の展示品は全て醍醐寺の所蔵。最初の上海博物館では64点(組)が展示される。この中には日本の国宝が6点あり。弘法大師空海の真跡である「大日経開題」、醍醐寺開山の縁起を記録した貴重な史料である「醍醐寺縁起」、日本に現存する最古の絵画作品の一つと言われている「絵因果経」、中国の五代の時期に盛んだった"新樣文殊"がテーマとなって創作された「文殊渡海図」、と唐•宋時代の絵画の影響を受け、平安時代に創作された「訶梨帝母像」「閻魔天像」「弥勒菩薩坐像」「弥勒菩薩曼荼羅」など貴重な文化財が展示される。
展覧会の鑑賞の他、上海博物館が編集した「菩提の世界:醍醐芸術珍宝展」の図録が出版され、今回の中国での展示品が全て掲載される。さらにイラスト集「京都の美」、特別展に関する解説本などを出版予定。展示期間中には展覧会のテーマに関する講座も開催する予定。醍醐寺の歴史-日本の歴史においてこの寺が果たした役割と、日本の仏教文化発展に与えた影響-を理解するよい機会となることが期待される。
今回の展覧会は、醍醐寺が所蔵している寺宝を通じて、“密教東伝”の歴史-中日の文化と芸術の交流が残した貴重な遺産-を知ることができ、同時に研究者と愛好者に対して、貴重な仏教芸術との対話の機会を提供するのである。
上海展覧会は7月10日まで。
展示情報
展覧期間:2016年5月11日~2016年7月10日
展覧会場:上海博物館一階 第一展覧室