和暦年(西暦) |
月 |
日 |
事項 |
建暦3年(1213) |
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成賢、「鎌倉御祈」として尊勝法を勤修す(3函78号)。 |
承久年中(1219~22) |
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成賢、「将軍」の「御持僧」として祈祷を行う(2函77号)。 |
正応5年(1292) |
8月 |
24日 |
覚雅、鎌倉の二階堂において、憲淳に対して正嫡とする「宗大事」等を伝授する(3函20号3番)。 |
永仁元年(1293) |
9月 |
晦日 |
憲淳、北条貞時より「関東御祈祷」を命じられる(2函89号1番)。 |
徳治2年(1307) |
4月 |
14日 |
後宇多上皇、醍醐寺報恩院憲淳から伝法灌頂を受ける。 |
7月 |
26日 |
後宇多上皇、出家。 |
徳治3年(1308) |
正月 |
26日 |
後宇多法皇、東寺において、仁和寺禅助より広沢流の伝法灌頂をうける。 |
2月 |
22日 |
後宇多法皇、三宝院流(小野流)の付法を請う書状を出す(「後宇多法皇宸筆当流紹隆教誡」第1通目)。 |
3月 |
25日・26日 |
憲淳、後宇多法皇に付法の条件を提示する。 |
4月 |
3日 |
後宇多法皇、憲淳に付法の条件を守ることを誓う(同2通目)。 |
19日 |
憲淳、病気により、今後は隆勝に武家祈祷を行わせることを北条貞時に申し出る(2函89号2番)。 |
29日 |
後宇多法皇、憲淳に三宝院流の興隆に努めることを誓う(同3通目)。 |
5月 |
22日 |
貞時、隆勝に武家護持を行わせることを認める(2函89号3番)。 |
29日 |
憲淳、後宇多法皇の住持に備えて、隆勝宛てに本尊等の譲状と置文を与える(11函4号1番、15函3号)。 |
8月 |
23日 |
憲淳、入滅。 |
延慶2年(1309) |
4月 |
7日 |
隆勝、貞時に弘法大師筆の観音経等を上進する(11函12号)。 |
8日 |
貞時、観音経等を「秘蔵」とする旨の礼状を隆勝に発給する(11函13号)。 |
6月 |
4日 |
隆勝、幕府に「転法輪筒」が後宇多法皇に「召置」れていることを訴える(2函89号4番)。以後、後宇多法皇と隆勝との対立が表面化。 |
元亨4年(1324) |
6月 |
25日 |
後宇多法皇、大覚寺において崩御。 |