山本探川 (1721-1780)
江戸から昭和初期間で京都に続いた狩野派の画系に繋がる山本家の5代目絵師。3代目素軒は、狩野探幽に学び、宮中や公家の画用を勤め、光琳が若い頃に師事したことで知られている。
山口素岳 (江戸時代 19世紀)
円山応挙の門下十哲の一人と称される、山口素絢(1759-1818)の子。
和暦 | 西暦 | 事項 | |
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宝暦 | 5 | 1755 | 山本探川 法橋叙位 |
7 | 1757 | 石田幽汀 法橋叙位 | |
10 | 1760 | 山本宗川 没 | |
13 | 1763 | 山本探川 御即位新調の御屏風を 仰せつかる | |
明和 | 2 | 1765 | -安永2 1773 醍醐寺五重塔解体修理 |
6 | 1769 | 山本探川 法眼叙位 | |
7 | 1770 | 山本探川 仙洞御所造営に出仕 | |
安永 | 2 | 1773 | 三宝院・護摩堂の移築改造 |
6 | 1777 | 石田幽汀 法眼叙位 | |
9 | 1780 | 光格天皇 即位 山本探川 没 |
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寛政 | 5 | 1793 | 醍醐寺座主・勝演(87世)誕生。 |
享和 | 1 | 1801 | 原在中 醍醐寺「釈迦文殊弥勒三尊像」 |
文化年間 | 6 | 1804-1818 | 松村呉春 三宝院新居間 「泊船図」 |
文化 | 5 | 1808 | 醍醐寺座主・定演(88世)誕生 |
7 | 1810 | 勝演 没 | |
10 | 1813 | 山口素絢 松村景文と合作 「花卉花鳥図」(重要美術品 根津美術館) |
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15 | 1818 | 山口素絢 没 | |
文政頃 | 1820代 | 塩川文麟(12-13才)三宝院 新居間障壁画 | |
5 | 1822 | 原在中 醍醐寺「崖下菊花図」 | |
10 | 1827 | 原在中 醍醐寺「大元帥明王八臂像」 | |
天保 | 2 | 1831 | 山口素岳 占出山の懸の下図「松島図」 この頃東洞院六角に居住 |
15 | 1844 | 山口素岳 醍醐寺「一海像」「甚信像」 「観賢像」を描く | |
弘化 | 3 | 1846- 嘉永5 1852 |
山口素岳 富小路松原に居住 |
5 | 1848 | 高演 没 | |
慶応 | 2 | 1866 | 定演 没 |
年表の作成には『密教大辞典』法蔵館1969などを参考としました。