和暦年(西暦) | 月 | 日 | 事項 | 義演年齢 | 秀吉年齢 |
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永禄元年(1558) | 8月 | 義演、関白二条晴良の息として誕生 | 1才 | 22才 | |
12年(1569) | 6月 | 義演、三宝院門跡に入室 | 12才 | 33才 | |
天正 4年(1576) | 義演、醍醐寺座主に補任 | 19才 | 40才 | ||
13年(1585) | 7月 | 11日 | 秀吉、従一位関白に任ぜらる(公卿補任) | 28才 | 49才 |
12日 | 義演、准三后に補任 | ||||
18年(1590) | 正月 | 義演、太閤検地による寺領困窮を訴え、秀吉より替地を賜る。その礼として、醍醐寺において護摩を行う(178函17号) | |||
20年(1592) | 6月 | 義演、東寺において秀吉の朝鮮出兵のために仁王経法を修す | |||
慶長 2年(1597) | 3月 | 秀吉、醍醐寺に花見に来り、五重塔修理のために千五百石を寄進(「新要録」「義」) 高野山大塔供養(壇越秀吉)において、義演、導師を勤仕 |
40才 | 61才 | |
12月 | 醍醐寺五重塔の修理始まる(「新要録」) | ||||
3年(1598) | 2月 | 9日 | 秀吉、「醍醐の花見」の下見に訪れ、三宝院門跡寝殿、泉水、金堂、講堂、食堂、経蔵、湯屋、仁王門等の修理・建立を仰せ出す | 41才 | 62才 |
13日 | 秀吉の命により、醍醐寺境内に七百本の桜を移植す(「義」) | ||||
20日 | 秀吉の命により、醍醐寺金剛輪院庭園に藤戸石等運ばれ、泉水の作事が行われる(「新要録」、「義」) | ||||
3月 | 6日 | 醍醐寺五重塔の修理終わる(「新要録」) | |||
15日 | 秀吉、「醍醐の花見」を催す | ||||
7月 | 8日 | この日より、義演、醍醐寺において秀吉の病気平癒のために祈祷を行う | |||
8月 | 16日 | 義演、伏見城において秀吉の病気平癒のために祈祷を行う | |||
18日 | 秀吉薨ず |
〔注〕事項の末尾の( )内は出典。「義」は「義演准后日記」、「新要録」は「醍醐寺新要録」を表す。記載の無いものは「五八代記」に依った。