境内案内

醍醐寺はこの地から始まりました


登山口の女人堂から小一時間ほど険しい山道を登っていくと、醍醐寺発祥の地、上醍醐へ到着します。
更に歩みを進めていくと、874年の開創以来、
今もこんこんと湧き続ける醍醐水が参拝者の喉を潤してくれます。
醍醐水を飲んだ時の“醍醐味”は実際に登ってみると、
より一層深く味わうことができます。
まさに水は、生命の源であり、醍醐寺の源でもあります。

上醍醐限定「醍醐守」


清らかな醍醐水をモチーフにした、准胝・如意輪両観音の諸願成就のお守りです。女人堂で授与しています。





上醍醐には、国宝の薬師堂や清瀧宮拝殿、豊臣秀吉が慶長11年(1606)に再建した開山堂(重文)と如意輪堂(重文)や五大堂などの諸堂が点在しております。

また、醍醐の花見の1年前の慶長2年(1597)には、豊臣秀吉と徳川家康が下見のために上醍醐へ登山したことが「義演准后日記」に記されています。

上醍醐の頂上に、醍醐寺の開祖、聖宝・理源大師をお祀りした開山堂と如意輪堂があります。その地からは大阪の街や大阪城を一望でき、運が良ければ明石海峡大橋までご覧いただけます。

上醍醐は当山派修験道の道場でもあります。
谷を渡る風の音、鳥のさえずり、新緑の薫り、紅葉など豊かな自然の中に身を置くと自然との一体感、その中に生かされていること、人と人とのつながり、すべての命がつながっていることを五感で感じることができます。
それが修験道の醍醐味でもあります。


新緑の清瀧宮拝殿

醍醐水

開山堂

醍醐山頂からの眺め

秋の如意輪堂

朝もやの上醍醐

醍醐寺発祥の地

醍醐水

ここがまさしく聖宝・理源大師が山上に立てた隠遁場所です。大師は霊力によってこの泉を発見されました。今でもこの霊水を飲むことができます。

清瀧宮本殿より清瀧宮拝殿を望む
清瀧宮拝殿
清瀧宮本殿

清瀧宮拝殿

清瀧宮拝殿(国宝)は室町時代の建物で、寝殿造りの手法を生かした気品ある風格を備えています。山腹をわずかに切り開いて前面が崖にさしかかる懸造り(かけづくり)の構造になっています。

薬師堂

薬師堂は上醍醐伽藍の中央に位置し、延喜13年(913)に醍醐天皇の御願堂として創建されました。900年以上の風雪を耐え抜いてきました。全体に水平感を強調した落ち着いた建物で平安後期の気風をよく伝えています。本尊の薬師三尊像(国宝)は、保存管理の為、平成13年10月の霊宝館リニューアルオープンの際に霊宝館平成館に遷座されています。そのため平成24年4月に新しい本尊として薬師三尊が造顕され奉安されています。 薬師如来は総丈1m80cm、左右の両脇仏は総丈1m30cmと国宝の三尊仏とほぼ同じ大きさで、いずれも総檜一木乾漆像で古色で荘厳されています。(非公開)

五大堂壁画(仁王経曼荼羅)
不動明王像/五大明王像は現在霊宝館に安置されており、多くの方にご参拝して頂いております。

五大堂

五大堂は延喜13年(913)に醍醐天皇の御願堂として創建されました。以後数度の災に遭い、現在の五大堂は昭和15年に再建されたものですが、山上に聳えるその偉容は、鎮護国家を託された往時の山上密教寺院の雰囲気を今に伝えています。

如意輪堂

如意輪堂は、醍醐寺開山の理源大師聖宝が上醍醐を開いた際、准胝堂と共に最初に建てた建物で、「醍醐寺縁起」では、創建を貞観18年(876)のこととしています。現在の建物は慶長11年(1613)建立のもので本尊如意輪観音と共に脇の間に毘沙門天、吉祥天が祀られています。

開山堂

醍醐寺の開山、聖宝・理源大師を奉安したお堂。最初は御影堂(みえどう)といい、延喜11年(911)に理源大師の弟子、醍醐寺第一世座主、観賢僧正によって建立されましたが、後に焼失。鎌倉時代に再建されたものの荒廃してしまいました。現在のお堂は、慶長11年(1606)に豊臣秀頼によって再建されたもので、雄大な桃山時代の特徴をよく表した山上最大のお堂です。
お堂の内陣には、中央に醍醐寺開山聖宝理源大師像、左に真言宗宗祖弘法大師像、右に醍醐寺第一世座主・観賢僧正像が奉安されています。

成身院

成身院 通称「女人堂」

上醍醐への登山口にあり、昔は女性が此処から山上の諸仏を拝んだことから、通称「女人堂」といわれています。現在の本堂は江戸初期の再建といわれ、本尊には、山上の准胝観音の分身が祀られています。本堂前には山側から不動明王、理源大師、弥勒菩薩、役行者、地蔵菩薩が祀られています。